「バッヂエンジニアリング」をやりすぎたGM

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仏ルノー:GM「サターン」への自動車供給交渉、最終段階で決裂
ブルームバーグ(2009/10/2)

サターン売却が白紙に...GMとペンスキー、交渉決裂
Response.jp(2009/10/1)

サターンが無くなる。
85年にGMの作った「日本車キラー」と呼ばれた、自動車ブランド、サターン。
感じの良い笑顔で迎えるリテーラー(ディーラーのことをこう呼んだ)、
ワンプライス値引きなしの販売。低燃費高性能で小型なボディと、
それまでのアメリカ車とは一線を画した車は、
アメリカで大ブレイクした。
気をよくしたGMはサターンを「世界戦略車」として世界展開しようとした。

「礼をつくす会社、礼をつくすクルマ」というキャッチコピーで日本にも進出。
ぶつけてもへこまない樹脂バンパーや、
後席にもドアのある3ドアクーペなどのアイディアで
日本で日本車と同じ土俵で闘おうとした。
僕が思春期に最も影響を受けた車の一つだ。
しかし品質問題やアメリカ車へのネガティブイメージから日本では
2001年に撤退。
世界展開は大体失敗し、最近ではアメリカとカナダで年20万台を売る、
ニッチなブランドに落ちぶれていた。

GMが破綻後、米ディーラー大手のペンスキー・オートモーティブが買収。
製造はルノーに委託し、マーケティング・販売を行う計画だったが、
ルノーとの交渉が破談になり、サターンの存続の道は絶たれた。

僕が思うにGMの最大の失敗は、
経営陣の経営計画が常に数あわせに終始していたことだったと思う。
シボレー、キャディラック、ポンテアック、サターン、ビュイック、
ハマー、GMC、ヴォクスホール(英)、オペル(独)、サーブ(スウェーデン)
デウ(韓)、スズキ(日)、スバル(日)、ホールデン(豪)
たくさん保有するブランドの中から
地域やマーケティングに合わせて、全く同じ車を、違うバッヂで売り出した。
これをバッヂ・エンジニアリングという。


例えば日本でも
オペルが設計しGMタイ工場が製造した車が、
オペル・ザフィーラ、スバル・トラヴィックという名前で売られていた。
ザフィーラの方が50万円~100万円ほど高く、
「外国車の意味のないプレミアム価格」と、当時話題になったものだ。

特に89年~97年にかけてアメリカにあった、ジオというブランドは、
GMの体質を如実に著すものだ。
小型車が消費者に求められていたので、
スズキやトヨタ、イスズの車にジオというバッヂをつけて、
シボレー店で売り出した。
そこそこ売れたようだが、小型車なので、利幅が低く、
97年に廃止されてしまった。

そもそも日本のメーカーに製造を委託していたのだから、
ただでさえ利幅の薄い小型車がさらに儲からないことは明白だったはずだ。
なのに、自社で小型車を開発しよう、という発想にはならなかった。
その後、GMの経営陣がやったことは破綻した韓国メーカー、大宇の買収だった。

世界で年間600万台の車を売らないといけない。だから・・・
利益は○億ドル稼がないといけない。だから・・・
というデトロイトの経営はアメリカの景気後退とともに潰えた。

T型フォード一車種だけのフォードに対抗し、
多彩なラインナップで勝負したときから、破綻するまで、
最後までGMはテクノロジーで勝負する会社になれなかった。

そのGMからバイアウトされようとしたサターンが、
買収され、バッヂ・エンジニアリングで再生しようとし、
結果的に失敗したとは、実に皮肉なものだ。

車は最後はテクノロジーであるという当たり前の事に、
誰も気づかなかったのだ。

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このページは、管理人が2009年10月 4日 17:40に書いたブログ記事です。

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